おつかれさん
どこまでこの手紙の内容はあなたに伝わっているのかなぁ
だけど、もう言葉はそんなに必要なんかないね
さっき私は自分の霊魂が頭から抜け出して
ちょうど自宅マンションから数キロ先にある
県立病院の救命救急病棟のあなたの病床にまで飛んで
眠っているあなたの数センチ上空を漂流しては
あなたの顔や腕や手に優しく触れたよ
そうそう、ひんやりとしてるあなたの頬にもキスをした
…でも、これは余りするものじゃないね
その後の自分の肉体に戻った後の疲労感が半端ないから
でも同じぐらい、これを書いている自宅の部屋の
あなたがTVを観ながらいつでも背中を向けて横たわっていた
その少し上空にあなたの気配を感じてしまうのは気のせいかな?
気のせいだとしても、そうだったらとても素敵なことね
そうそう、6月の初旬頃に抗がん剤の新薬に切り替えたあなたの体は
じわじわと薬の成分が蓄積されるにつれ
じわじわと副作用の魔の手もあなたへと伸びてきていた
それでも、いつでも私ファーストのあなたは
私が温泉旅行から戻ってくるまでちゃんとして待ってくれていたんだね
私が帰郷する頃にはもう既にその副作用の症状は出ていたというのに
私が帰郷したその日、あなたはがん治療のための診察日で
主治医に「熱っぽいです、食欲もありません」って訴えたのに
「37度ぐらいなら想定内、食欲がないのは、
ちょっと様子を見ましょう」
って、そんなに深刻に取り扱ってくれなかったと言っていたね
そうあなたから伝え聞いたときは、
そんなものかなって私も思ったけど
でも、よく考えてみたら、あなたの平熱は35度よりも
低く検温されてしまうこともあって
そんな平熱が低すぎるあなたにとっては
37度という熱はかなりの高熱だったはず
しかも、まだ患者の誰も試したことのない新薬は、
それゆえに副作用が未知数で
本来ならどんな小さな身体症状にも
もっと気を配るべきだったと思うのに
あなたはその新薬のモルモットにさえもなりきれなかったのか
でも、数日間高熱の引かぬあなたを
私はどうしてもおかしいと思って
病院に直訴して新薬を一旦中断させたのだから
そのうちに熱も引いて軽快するだろうと高を括っていたの
辛抱強過ぎるあなたも何も言わなかったしね
だけど、今にして思えば、ここが判断間違った
辛抱強くて文句の一切言わないあなたを
私は健常者の感覚で、高熱は一晩寝れば何とかなるだろうと
全く誤解してしまっていた
夫ががんがステージ4の患者である認識が薄かった
今更、自分を責めても何の意味もないけどね
先週の金曜、あなたを早退させたわけだけど
あなたはTVをつけたまま背を向けて横たわっていて
私が帰宅して声をかけても、
寝ているのか振り向きもしなかったね
トイレはあなたのこぼした大量の尿で水浸しになっていて
帰宅して履き替えたズボンだって
律儀なあなたらしく一応ハンガーに吊るそうとした形跡はあるものの
それさえも1人では上手く出来ずにいたんだね
そこでもっと私が気にかけて解熱とかを意識して
やっぱり病院に問い合わせすればよかったのに
抗がん剤の副作用に悪慣れし過ぎてしまっていたのかな
副作用なんだからこんなもんでしょって
だって、どうしたって薬の副作用からは逃れられない
それから私はそんな夫をよそに残業した自分を癒すべく
独り手酌酒で晩酌していたの
今にして思えば、何ておめでたい、私のバカ!!
いつもだったら私が冷蔵庫から何かつまみを取り出すたびに
その物音に食いしん坊だった夫は何を食べているのかって
いちいち振り返っては確認していたのに
それさえもしなくなって夫はTVをつけて背を向けたままだった
それがちょっと寂しくて、夫の顔を遠くから覗き込んだら
ずっと寝ていたの
寝たら少しは体温も下がってくれるのかなって
何度も言うけど、今にして思えば、夫のことを健常者と
全く同じ扱いをしてしまっていたわね
本来ならここでもっと危機意識を持つべきだったのに
久々の残業に疲れ果てご褒美だって言い訳しながら
ついついいつもよりも酒量が増えてしまった私は
そのまま酔っ払ってゴロンと寝てしまったの
そしてあれは忘れられない、23時半頃だったわ
あなたは酒に酔って隣で眠る私に
自分の重篤な状態をきっと教えてくれたんだね
だって、これは後から知ったことだったけど
あのまま救急搬送されなかったら
あなたは朝を迎える頃には私の隣で冷たくなって
知らぬうちにあの世へと旅立っていたわけだから
あなたはそうなって私を悲しませまい
私がこれ以上自分を責めないようにと
眠る私に長いうわ言で話しかけることで
私を起こしてくれたんだよね
そう、それまで寝返りも打てなかったはずなのに
あなたは私の方へと体を向けるとしっかりとした口調で
確かこう言ったのよ
「…( )は楽しいですか?」
語尾だけは間違いなくそう聞き取れた
だけど、( )の中はその当時は聞き取れたような気がしたけど
是非とも聞き間違いであって欲しいとかなり動揺して認めたくなく
今でも認めたくなく、聞き間違いだったに違いないと思ってる
それでも、敢えて( )の中を書けば
「…(男遊び)は楽しいですか?」
当時の私には確かにそう聞こえたような気がして
それでガバっと身を起こして、
慌てて「何を言ってるの?!」って夫を見たわけだから
だけど、熱に浮かされた夫は
私とはその後しばらく会話は出来なかった
今にして思えば、あれは神様の
ちょっと乱暴な警告だったのかなって思う
いよいよ鈍すぎる私に見かねて夫の異常を認識させるための
だって、いわゆる普通の他愛ないうわ言だったなら
暢気過ぎる私は大して気にも留めずに
そのまま寝ていただろうと思うから
しかし、現実では夫のうわ言にかなり動揺してしまった私は
すっかり目が覚めて灯りを点けて
恐る恐る夫を覗き込んで眠る夫の額に何気に触れたら
昼間よりも更に熱くなっていることに気付いて
そこでようやく救急車を呼ぶことを考えた
でも、それでもやはり深夜に救急車を
呼ぶことにまだためらいがあって
呼ぶ前に、救急車を呼ぶべきかどうか
判断してくれるサービスがあって
そこに電話して夫の症状を伝えたら
今すぐ救急車を呼んでくださいと言うことだったから
夫は今そんなに大変な状態だったんだと
そこでようやく初めて私は認識して
救急車が到着するまでの間
怖くてずっとうろたえていたの
to be continued…
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