「お待たせ」
そう言いながら、キデはトオルの車に乗り込んだ。
「キデ♪」
トオルはいつものように、キデを見ると、
嬉しそうにキデの名前を呼んだ。
しかし、この間逢瀬したのは
もう一月近く前だったように思うが
その時よりも確実にトオルには疲労が見え
そのせいか老け込んだように見えた。
トオルはキデと同い年で、
誕生日はキデのわずか1日前なのだが
同世代の男性の中では
まだ若く見える方ではあった。
しかし、ここのところ、彼の激務のせいか、
逢うたびに着実に老けていくような感じだ。
運転するトオルの横顔を
じっと観察していると、
この間まではなかった、
彼のもみあげには白髪がちらほらしていた。
トオルは急に背中が丸くなり、
そんな背中から無理にあごを突き出して
姿勢を保とうとしているせいだろうか、
ちょうど首の付け根のあたりが
不格好に盛り上がっていた。
そういう負担のかかる姿勢を彼に強制させるとは、
激務でどんなストレスがトオルを襲っているのだろうか?
パーソナルトレーナーでもあり、
第1愛人の教祖様は常々、
キデにこう言って、
過剰なストレスの恐ろしさを説くからだ。
「ストレスに対処しようと、
人の体は盾のように踏ん張り防御しようとするので、
ストレスを受けている部分が歪んで肥大したりします。
だからその人の体の歪みをみると、
その人のストレスの内容まで大体分かります」
元々トオルはイカレポンチな面があり
しばしば素っ頓狂な言動を取ってしまいがちで
尤もそこが彼の愛嬌ともなっていた。
しかし、今はそんな風にからかえないだけの
キデにどこか心配させてしまう、
そんな深刻さがトオルにはあった。
連日の休みない激務のせいで
彼の脳は常にビジー状態で
疲労困憊の彼の脳のせいで
本当にどんどんと彼は軽い痴呆に
なりつつあるのではなかろうかと。
気まぐれでたまに寄越して来る、
彼のラインの返事が
キデの問いかけとどうも噛み合わない
そんなことがここ最近ぐんと
増えたような気がするからだ。
第一、彼には出会った頃のような覇気が
すっかり失われてしまっていた。
尤も、それは彼がキデの前で心を許し、
完全に寛いでしまっていると言うのもあるだろう。
いいえ、でもやっぱり、以前の彼には勢いがあったわ。
ちょっと、縁側で日向ぼっこをしているかのような
おじいさんめいた雰囲気があるわ、今の彼には。
おぉ、それから何ということなの!
服装にどちらかというと無頓着過ぎるトオルは
冬の初めにキデと一緒にショッピングをして買った
グレーのネルシャツをまだ着ていた。
確かに購入した時に、店員から春先も着れますよって
勧められたものの、
今日みたいな陽光が眩し過ぎる日には
ちょっとちぐはぐな感じがする。
チラリとトオルのズボンを見たら、
やはり同じ時に購入した
ウールのスラックスをまだ履いていた。
キデの贔屓のブティックで購入したので
こんな急にではなく、
予めいつ逢えるのかと教えてくれれば
激務で全く自分に構っていられない
トオルに代わって
トオルの春用の洋服を買っておくのに、
とキデは思った。
サイトで知り合い、
2人が顔合わせをしたのが冬の初めだった。
他県から夏頃に単身赴任してきた彼は、
夏という気候も手伝ってか、
ほとんど衣類を用意することなく
しかも新たに購入しようとも思わなかったらしく
キデと逢った時、
秋の初めのような薄着をしていて
無類のファッション好きなキデからすれば
その寒々しい服装が、
彼の品のなさを見せつけられたような気がして
それまであんなにメールのやり取りで
意気投合したにもかかわらず
急激にトオルへの関心を失わせたことがあった。
未だにトオルがこぼす、
「出逢った頃、キデはオレに対して冷たかった」
という原因の一つに、
まさかこんな服装のまずさがあったとは
トオルはよもや気付くまい。
また、20代の初め頃に結婚したというトオルは
どうやら奥方とは家庭内別居の状態にあるかのようで
既に冷えきり、凍り付いたかのような関係らしく
彼の話によると、彼は自分が建てたマイホームにさえも
ほとんど近寄らないらしい。
そしてそんな奥方も気を利かして遠方に居る彼に
季節に合った衣類を送ってあげようとも思わぬらしかった。
「どこのホテルにする?」
「どこでもいいよ」
またもや驚いてキデはトオルを見た。
ヤキモチ妬きの彼は、いつもならここで、
キデが他のメンズと逢瀬していないホテルへ行くと
気色ばむからだ。
キデがブログで日々、
色んなメンズとどんなホテルへ行った、
そこはまたもやトオルのお気にのホテルだったとか
書くので、もはやこれ以上太刀打ち出来やしないと
諦めてしまったのだろうか、
それとも、やはり日々の激務で
嫉妬する気力も削がれたということか。
何をするつもりなのか、思い出したかのように、
トオルはいつか二人で行って見かけた、
お風呂場にマットのあるホテルがいいと言って来た。
確かそのホテルは、ホテル街の一番奥にあった筈。
そう思い出してキデはトオルにナビをしたが、
そのホテルは先月、
第2愛人、ヒロシと逢瀬したホテルだったわと、
キデは人知れず思った。
ホテルまで車を走らせている間、
これまでならトオルはキデの右手を取って
キスしたり匂いを嗅いだりなどして
決して離しやしないのだが
今回はキデがじっと様子を覗っても
一向に彼はキデの手を取る気配さえなかった。
そんなトオルにキデは不安になって寂しくなって
他の愛人らに対しては決して行わないことなのだが
トオルの左腕へと手を伸ばすと
キデ自らトオルの左手へと指を絡ませた。
トオルはそんなキデの手を弱々しく握っただけだった。
to be continued…
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