ゆーや、おつかれさん
さ、今夜も、愛人帝王学のレクチャー始めるわよ
あら、今夜も、ゆーやから発言したいことがあるの?
いいわねぇ、その積極的な姿勢
さすが、期待の大型新人愛人って風格ね
さて、何かしら?
「ツヨシ、トオルの2大巨頭ポンコツ愛人は
さすがにクセが強すぎて、キデねーさんが
その恐れを知らぬ体当たりで
彼らにタックルしても、彼らは難攻不落で
相変わらずの奇人変人ぶりを崩すことなく
むしろ、キデねーさんを跳ね返して
突き飛ばすぐらいの威力の持ち主です。
もはやその姿には嫌悪感どころか
軽く尊敬すら覚えるぐらいです。
でも、キデ’s men で一番まともであるがゆえに、
無個性凡庸とさえ評される、失礼、言い過ぎました
第2愛人のヒロシ師範は
キデねーさんのカオスに
そのまま無抵抗に巻き込まれていく
そんな危うさを感じて、同情を禁じ得ません」
…あら、随分、はっきりと言い切ったわね
そーねぇ、ある意味、的を得た意見ね
前回のレクチャーでは、
酩酊気味のヒロシとあたしがホテルのバーで
2人で大声で飲んでいたものだから、
知らず知らずのうちにヒンシュクを
買ってしまっていたというところで終わっていたわね
気が付いたら、バーにはあたしたち2人しかいなくなっていたわね
それでも気付かずワイワイと2人で飲み続けていたら、
やがてバーテンがあたしたちのテーブルへやって来て、
「ラストオーダーとなりますが、いかがなさいますか?」
って訊いて来たの
そこであたしたちもようやくお開きにすることにしたのよ
あたしが先に立ち上がって、その後をテーブルで支払いを済ませた
ヒロシがおもむろに立ち上がったの
そーしたら、何を思ったのか、
ヒロシがそのままあたしに抱きつこーとしたのよ
あれは今から3年前の話ね、
当時はまだあたしは「貞淑妻」だったから
突然のそんなヒロシの行動の意味が分からず
こんなあたしでも怖くなって咄嗟によけてしまったのよ
だって、当時のあたしはただヒロシとお酒を飲みながら
付かず離れずの絶妙な関係のあたしたちに漂う
ロマンティックな雰囲気を
楽しみたかっただけだもの
今にして思えば、これが一番エロくて
ズルい考えだったと思うけど
ちなみに、随分後になってヒロシに
「どーしてあのとき、あたしに抱きつこうとしたりしたの?」
って訊いたら、
ほぼ毎晩スナックに飲みに行くヒロシは、
「飲み屋のねーちゃんに帰るときにする挨拶を同じよーに
キデにもしよーとしただけ」ですって
あのねー、あたしは飲み屋のねーちゃんじゃなくて
貞淑な人妻だったわけ、そりゃあ、驚くでしょーよってね
今みたいな、海千山千の女になっても
やっぱり酒に物を言わせて
こちらに触れたり口説いて来るヤツには
嫌悪と軽蔑しかないわね
素面で堂々と口説いて来いよ!ってね
閑話休題
そーしたら、バランスを崩したヒロシは
そのままキレイなうつ伏せで
床に倒れてしまったの
リノリウムの固い床と、ヒロシが落ちた所が
ちょうど階段へとつながる所だったものだから
ヒロシは鋭角な階段の縁で
サクッと額を切ってしまったの
いいえ、あれは切ったというレベルではなくて
もはや裂けていたわね
アルコールを摂取した直後だったから、
とにかく流血が凄かったわ
あたしはどーやら知らずのうちに
声をあげてしまっていたみたいだし
騒動に気付いた店員が慌てて
あたしたちのところへ駆けつけて来たの
あたしもさすがに慌てて倒れたままで微動だにしない
ヒロシの元へと駆け寄ったわ
だってヒロシはうつ伏せになって倒れたまま
痛いとも何とも反応がなかったもの
失神したのか、それともいよいよ
死んでしまったのかと思ったわ
恐る恐るヒロシをひっくり返してみると
何とヒロシは泥酔して
眠り込んでしまっていたのよ
でもその間も裂けた傷口から
どくどくと血が流れているわけ
あたしは階段に腰を下ろすと、
自分の太ももにヒロシの頭を乗せて
店員から渡されたタオルでヒロシの
額を止血していたわね
それまで間接照明で薄暗かったバーの室内は
店員が慌てて点灯した蛍光灯の直接照明で
病院を連想させるかのよーな明るさになっていて
ついついあたしは自分の置かれた状況も忘れて
バーでもこんなに明るい照明を点灯させることあるんだって
ちょっと感心して見入ってしまったわね
そんな明るい照明にヒロシも一瞬
目が覚めたのかぼんやりとした目で
あたしの顔を見たかと思うと
あたしの様子をうかがうような表情で
そろそろと両腕をあたしの腰に回してしがみついて来たの
そーすると満足したのか、再び彼は眠り込んでしまったわ
そこまでしてあたしに抱きつきたかったのかと
呆れずにはいられなかったけど
こうして大変な怪我をさせてしまったという
引け目があったからされるままにしておいたけどね
ずっとうろたえてる店員から
止血のためのタオルを何枚も渡されながら
「救急車をお呼びしましょうか?」
って訊かれたけど、
深夜のホテルのしじまを
無粋な救急車のサイレンで
破りたくなんかなかったから
代わりにタクシーをお願いして
近くの緊急病院までヒロシを運ぶことにしたの
タクシーまではバーの男性店員が
ヒロシを車椅子で運んでくれたけど
病院に着いてからはあたしが1人で車椅子を探して
タクシーの運転手と一緒にヒロシをどうにか
車椅子に乗せるとそこから先はあたし1人で
不慣れながらも車椅子を押して
診察室まで運ばなければならなかったわ
車椅子押すのって結構大変なのよね
コツを知らないと、本当に苦労したわ
しかもその時のあたしの服装と言ったら
すっかりデート仕様で、
ウールのプリーツスカートにモヘアのセーター
ハイヒールパンプスおろしたての真っ白な
ジミーチューの革のハンドバッグ
余計に動きにくかったわね
いつまでもしつこく流れ出る
ヒロシの血を止血しながら
特にバッグには血がつかぬよーに、心を砕いたものよ
診察の後で、ヒロシが泥酔して眠っている間に
麻酔なしでヒロシの額を
縫ってしまおうと話になったのだけど
いざヒロシの額を触ろうと医師がしたものなら
眠っているはずなのにヒロシは医師の手を
自分の手で追い払うのよ、何度試みてもね
仕方ないから、縫うのは止めて
医療用テープを貼って対応することにしたの
念のために精密検査もしておきましょうという話になって
その検査が終わるのを待つ間、やっとあたしも人心地ついて、
「大変困った状況になってしまった、さてどーしたものかと」
初めて青ざめてきたわ
もしもこのままヒロシになんかあったとしたら
彼の下で働く大勢の従業員は大混乱に陥るかも知れないし
第一、あたしとは犬猿の仲だったけど、彼の妻に対しても
大変申し訳なく思ってしまったし
おぉ、そーだ
引率責任者である私からの報告を
辛抱強く待っている、上司でもある夫に
まずはとにかく報告せねばって、
恐る恐る電話をしたのよ
敢えてその場ではあたしとヒロシが
何をしていたのか具体的には報告せずに
「ただ一緒にお酒を飲んでいたら
酔っ払ったヒロシがつまづいて額を切ったから
今その付き添いで病院にいる
そんなに大きな怪我でもないみたい」とだけ伝えたの
驚いた夫は
「分かった、また何かあったら連絡してくれ」
としか言わなかったわ
精密検査でも何の異常もなく血も止まったヒロシを
華奢なデートスタイルをした、非力な女1人で、
彼のホテルの部屋まで運ぶのは
なかなかの重労働だったわね
さっきの高級ホテルと違って
エコノミーなビジネスホテルのスタッフは
そこまで宿泊客に寄り添ってはくれないしね
完全に脱力してしまった、
あたしよりもはるかに体の大きな
成人男性を運ぶことの大変さと言ったら!
きっとこんなとき、介護経験のある人だったら、
もっと効率よく対応出来たでしょうね
ホント、ただのかさばって重すぎる肉の塊
と化したヒロシに憎しみしかなかったわね
翌朝、酷い二日酔いに襲われたヒロシは
昨夜のことは何1つ覚えていないと言うし
1回目のヒロシとの東京出張では
以上のような、実にトホホな大惨事
があったというわけよ
もちろん、後で上司である夫から
ヒロシとあたしの2人は
こっぴどく説教まで受けるという
おまけもついてきたわけだし
このときから夫はますます
ヒロシを警戒するようになってしまったし
ホント、ゆーやの指摘するとおり、
あたしは自分の欲望を果たそーとして、
それに怖いぐらい忠実に従うけど
いつでも最後は空回りして何も欲望が果たされることなく
終わってしまっているのよね
いつでも無駄にカオスな状態
だけを作り出して、
周りの人々をばっさばっさとなぎ倒しながら
あたし本人はケロリとして
嵐のように立ち去ってしまうというか
そして、
ヒロシにはもー懲りた、もーいいわ
って思っていた筈なのに
喉元過ぎれば熱さを忘れるというのか、
それからわずか2年後に
また同じシチュエーションを
自ら作り出してしまうとは…
あたしって、ホントに懲りない女だわね
あら、もーこんな時間
今日のレクチャーはここまでよ
この続きは、また明日ね
しっかりと学んで、
素敵な愛人さんになってね♡
間違っても、トオルみたいな
ポンコツ愛人になってしまってはダメよ
それでは、またね〜
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